実家は無事でした

本日の地震震源地が実家に近かったので、流石に焦りました。
一時間近く電話が繋がらず、ダメ元で母親の携帯に電話したところ出てくれました。
(お袋、携帯は持っているけど操作苦手なので掛けても出ない)


実家の被害は、花瓶とすり鉢一個ずつ。怪我も無く兄弟も無事でした。
しかし…母親と話していて気が付いたのですが
30年前の6月13日だったんですね、宮城県沖地震


あの時の記憶も、6月だった事も覚えていたのですが、日付まで覚えてませんでした。

宮城県沖地震の時、私は小学生でした。
放課後、ソフトボールの練習で校庭にいて、運動音痴のため練習から外されてシーソーでフテ寝していたら


巨大な地鳴りと共に、地面が落ちました。


…揺れるってレベルじゃないです。地鳴りが1秒ほど鳴って、次の瞬間ドーンと足元が落ちた感覚で目を覚ましました。
ソフトボールの他のメンバーは校庭にうずくまっていたのですか、
過去担任から「校庭が割れて地割れに人が落ちる事もある」と聞かされていたので

「桜の木にすがって!!」
とメンバーに叫びました。
激しい揺れが続く中、みんなで必死に桜の木にしがみついていたのですが
目の前で、講堂が崩れました。


体育館代わりに使っていた講堂があったのですが、戦前の木造建築でして
揺れと共に、内部の天井や木材が立て続けに落ちていました。
揺れが終わっても、天井が崩れて煙のようなホコリが立ち込める講堂を呆然としてみていたら
崩れた木材の中から、剣道部の部員が這うようにして出てきました。
防具が幸いしたため、大事には至らなかったのが幸いでした。
ただ、剣道部員の中で木材が脚に落ちてきて一人骨折。
学校での怪我人は彼一人でした。


揺れが収まって、メンバーで怯えながら家に帰ると、母親がありったけのバケツに水を貯めていました。
その時の自宅の被害も・・・何故か花瓶一個。


30年経った今でも、ここまでハッキリ覚えている災害です。


今回の震災、また過去の震災等で被害に会われた方、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復興と、再度被害に合わないよう、お祈り申し上げます。